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あとがきにかえて [骨髄移植]

あとがきにかえて

ブログに、骨髄移植のことを書くと決めた時、
ありのままを書こうと思いました。
それは、いい面も悪い面も、楽しいことも辛いことも。
元々、楽天的な自分ですので、どうにかなるだろうと思いながらも、
実は心の葛藤もあったのは事実。
そういう心身の機微もまた、洗いざらい書いちゃおうと思っていました。

全部で37回にわたった記事では、まさに今回の流れを網羅しました。
以前のブログ執筆で恒例となった、長文の記事を、
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
取りとめのない文章、一見するとわかりづらい文言に関しては、
日々の仕事の合間を縫っての執筆を言い訳にしつつ、
心からお詫び申し上げます。

猛威を振るうコロナ禍で、実は骨髄移植事業も減少していると聞きました。
新規ドナーの登録者も激減しているそうです。
ドナーになったとしても、越県しての病院に通うのをためらって、
ドナー辞退する人も多いとのこと。
そんな中で、たまたま私が経験した「末梢血幹細胞移植」のドナー。
これはなにより、普段ではまず経験できない、稀有なことでありました。
命をつなぐ、そういう認識を、目の当たりにしました。

逢うことを許されない、患者さんがどういう状態なのか、
想像しない日はありません。
再発する可能性もあり、移植後の生存率も高くないとのデータもあります。
私の造血細胞が、生着できずに、なお苦しんでおられるのではなかろうか。
そういう、悪い想像ばかりが頭をよぎります。

でも、患者さんにとって、白血球の型が一致したドナーがいて、
その人(私です)から、造血細胞が届いたというのは、
なによりの「生きるよろこび」だったと思えば、
その一助ができたことに、個人的に嬉しく思います。

例年、その年を表す漢字1文字が発表されます。
昨年はたしか「密」だったと思いますが、
私自身の、昨年の漢字1文字は「生」でした。
こんなにも、生きるということを考えた年は、私の人生でありませんでしたから。

今年、齢50になります。
おそらく、今年は激動の2021年を迎えます。
ここでは発表しませんが、私の人生で最も大きな出来事があります。
その前に、こういう経験ができたことが、純粋に楽しかったです。

そして、今年の末になると、おそらくは骨髄バンクのドナー登録が復活します。
(採取から1年経過したので、保留から継続に変わる)
移植マッチングが再開されて、もしかしたらすぐにまた、ドナー選定のお知らせが届くかもしれません。

昨年のドナー選定の時と大きく違うことがあるでしょう。
それは、一片の迷いもなく、「私はドナーになります!」と、即答できるということです。
そのことが、私が一連の移植の過程を通じて、学んだことです。
患者さんに教えて頂いたといっても過言ではありません。
たったこれだけ、でも確固たる意志の確立が完成しました。

繰り返しになりますが、私一人でできることではありませんでした。
骨髄バンクの地区コーディネーターのクレインさんをはじめ、バンクの人々。
大きな病院を3つも通う中でお会いした、ボランティアのお医者さんたち。
入院した病院の、調整医師さんや看護師さんたち。
インフルの予防接種を優先的に打ってくれた、地元のお医者さん。
補助金の申請時に手助けしてもらった、地元の役所の皆さん。
理解を示して協力してくれた、仕事場の皆さん。
ヘルプに来てくれた、コンビニ本部のスタッフさん。
私を激励し続けてくれた、飲み仲間の皆さん。
そして、兄弟、母親、家族のみんな。
家族代表になってくれた妹1号。
――これらの人々が支えてくれたおかげで、
私の造血細胞が、見ず知らずの患者さんの元に届いたのです。
こんなに多くの人々が、患者さん、あなたが生きてほしいと願っていてくれたのです。
これって、すごいことだと思いませんか!

だからきっと、患者さんは助かるのです。
これだけの人々の願いは、不条理な病気を必ずや駆逐するはずです。
そう確信しました。

とりあえず、弊ブログはこの記事をもって「千秋楽」としたいと思います。
個人的には、ブログを書くという、久々の行為が楽しくもありました。
また、こういう場を持っていけたらいいなとも思いました。
もしかしたら、セカンドブログを始めるかもしれませんが、
その際は、こちらにもご案内していきますね。

それではまたいつか、お目にかかりましょう。
それまでお元気で。
さようなら。

HN式守錦太夫 拝

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私の移植体験とは [骨髄移植]

私の移植体験とは

骨髄バンクから突然の手紙が届き、自分がドナー候補者になったことが分かってから、
採取が終わってすべての作業が終了するまでのおおよそ100日間
思えばあっという間だったと思います。
そして、これまでの人生では、まったく考えなかったことを多く考えました。
さまざまな医療従事者に出会い、いろいろな施しを頂きました。
なにより、会ったことも将来会うこともない患者さんの治癒のために、
みんなが同じベクトルをむいてきました。
どの人も、汗をかくことをためらわず、困難を承知のうえで臨みました。
その一翼を担ったと思うと、感慨もひとしおであります。

後遺症の可能性がまったくないと言い切れない中で、
自分のカラダを提供することを決めたのは私です。
出会ったすべての人が、私の決断と勇気に対して敬意をもってくださった。
私自身はそこまでの気負いというものはありませんでしたが、
ドナーとして、皆さんが接してくれた愛情は忘れられません。

私の場合のさまざまな困難は、
一つは確認検査時に、身内におけるコロナの濃厚接触問題
(結果的には陰性でしたが)
術前健診での数値異常における再検査問題。
(これも再検査の結果は適正でした)
そして、基本的に休みのない仕事を、5日間あけるという最大のミッション。
どれをとっても、一筋縄ではいかないことが発生しました。
精神的に追い詰められたことも幾度となくありました。
でも、それらを丁寧に一つ一つクリアしていき、
最終的に採取までたどり着けたのは、やはり達成感であります。

採取前後の数日間の「骨痛」に泣かされましたが、
それ以外は、物理的な「痛み」を自覚することはありませんでした。
だから、終わってからいろいろな人に「痛かったでしょ」と聞かれると、
実際そうでもないんだよねって答えていますが、それはある意味正解です。
ただ、そう思われているということ自体が、
やはり骨髄移植に対する世間の「常識」なんだろうなと思いました。

移植は痛みを伴う――。
あながち間違いではありませんが、私が体験した結果言えることは、
物理的な痛みよりも、精神的な痛みを多く感じたというのが本音です。

じゃあ、そんなに困難を伴うのであれば、
移植なんかしなければいいじゃないかという声もあるでしょう。
気軽な気持ちで、バンクにドナー登録したものの、
辞退しちゃえばいいんじゃないとする人も多いと聞きます。

でも私はこう考えたのです。
「白血球の型が一致しているのが自分自身なら、代理が成立しない。
自分のカラダを求められたのだから、自分がドナーになる!」と。
なにもカッコつけているわけではありません。
他の人じゃダメなんです。
だから、自分なんです。

ドナー候補者になったとの手紙を頂いた時、私の脳裏に、患者さんの様子が浮かびました。
どんな病気になったのかわからないものの、治療をし尽した結果、
骨髄を移植するしか生きる望みがないと分かった時の絶望感。
藁をもすがる思いで、骨髄バンクに患者登録した、生きたいという気持ち。
白血球の型が一致した人が表れ、そして、ドナーになってくれると知った日のよろこび。
そんな手助けができるなんて、一生でそう何度もあるはずありません。
だから、自分が手をあげたのです。

でも、こうも思います。
自分は決してスーパーマンではない。
だれしも、ココロのどこかでは同じ気持ちがあるはず。
ただ、見ず知らずのだれかを相手に、どこまで尽くせるのか。
その温度差なりがあると思うのです。
人を助けたいと思わない人間はいません。
ただ、その優先順位があるというだけのことだと思っています。
だから、たまたま私はその優先順位が単純だっただけです。

医療に対して、門外漢の私は、この間さまざまな情報を得ました。
自分のことだと思えば、調べることが苦痛ではありませんでした。
情報を会得することが楽しくもありました。
いっぱしの専門家ぶっておりますが、つい数か月前までは、
なにも知らなかった人間です。
「知るを楽しむ」ことが、具現化した瞬間でもありました。
もしかしたらこれから将来、同じように全くの門外漢であっても、
こうして自分のものに取り入れられるようになれたらいいなとも思いました。

私は少しだけ、成長できたのかな?
そうだとしたら、見ず知らずの、会うことのない患者さんに教えて頂いたんだな。
そう思える昨今になりました。
数か月前は、そんなこと微塵も思わなかったのにね。

次回、このブログのまとめである「最終回」を迎えます。





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現在の制約、ドナー登録の今後、保険について [骨髄移植]

現在の制約、ドナー登録の今後、保険について

前回の記事で、ドナー選定から採取までの一連の流れは終了しました。
ですので、骨髄バンクに興味があって、ドナー登録してみようかなと思った方は、
この一連の記事を読んでいただければ、全体像はお分かりだと思います。
多分に、私見が散見されるきらいはありますが、「末梢血幹細胞移植」はこんな感じです。

今回は、私が現在置かれている立場について。
日々、採取前と同じように過ごしているようではありますが、
多少の制約が存在します。

まずは、骨髄バンクのドナー登録の問題。
私はすでに、移植まで行ったので、現在のドナー登録は「保留扱い」になっています。
基本的に非血縁の場合、一度採取したら、ドナーの健康を考えて、
1年間はマッチングをされない決まりになっています。
ですので、1年間はドナー登録が保留になっているというわけ。
1年を過ぎると、自動的に「継続扱い」になり、移植コーディネートの対象になります。
もちろん、これは本人の希望が優先されるので、その時点で希望しなければ、
「抹消」を申し出ることもできます。

骨髄移植は最大2回までという取り決めがあり、
全身麻酔を施される「骨髄」だけなら2回、
私が実施した「末梢血」は1回が限度となります。
だから、私がもし、もう一度移植を行うなら、1年後に「骨髄」のみなのです。
(末梢血は、新しい採取方法ゆえ、
複数回実施した場合の治験のデータが少ないためとされています)

コーディネーターのクレインさんによると、
今までだったら一度、実施した人はドナー選定があまりされない傾向が強かったようですが、
最近は良き理解者ということから、積極的に2度目のマッチングが行われることが多いそう。
だから、私ももう一度となる可能性が高いですね。

ちなみにドナー登録は55歳までとされています。
私は現在49歳ですので、そんなに期間があるわけではありません。

次の制約事項として、献血は採取から半年は実施できません。
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ドナー選定の過程で、すでに、献血を控えるように指示されているので、
私の場合、9か月近く、献血を行えない状況になっています。
解除されるのは、おそらくは暖かくなってから。
こんなに長い間、献血をしなかった期間は過去にありません。
献血ルームからは、血液需給がひっ迫しているというメールをたびたびもらうのですが、
私が協力できなくて心苦しい限りです。

私の末梢血幹細胞を移植した患者さんに、万が一、合併症などが起きた時、
私の同意の上で、私の血液を輸血する可能性もあります。
こういう事態になった場合、すぐに私に連絡が届き、
献血と同じような形で、採血を行うそうです。
もちろん、これもドナー本人の希望が優先されますので、
断ることもできますし、そのときの体調次第では採血できない場合もあります。
私は同意書に署名捺印をしているので、拒むことはありません。
だから、いつなんどき、血液のオファーが来るかもしれないので、
体調面では気を付けていないといけないのですね。

ただし、それ以外はなにも制約ありません。
むしろ、仮に医療機関に受診する場合は、
最近、末梢血幹細胞移植を行ったドナーであることを告知し、
なにか体調に変化があった場合は、
その移植との関連性をお医者さんが考察する体制が整えられています。
そのための「ドナー手帳」を渡されています。
万全のバックアップ体制ですね。

ちなみに、移植で万が一、不可逆的な後遺症が出てしまった場合、
ドナーに対する医療保険が、バンクによりかけられています。
死亡時は1億円など、一般的な医療保険です。

まあ、使わないに越したことないのですが、
こういうケアがあるというのも、不安を取り除くものですよね。

次回から数回、私の移植経験における私見、提言など、
感じたこと、思ったことを書きたいと思います。







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患者さんからのお手紙に接して(D+26) [骨髄移植]

患者さんからのお手紙に接して(D+26)

以前の記事で、患者さんからお手紙が届いていますという連絡をもらったことを記しました。
取り決めにより、採取から1年間で最大2回まで、患者さんとドナーは手紙のやり取りができます。
逆に言えば、その範囲以外では、患者さんとドナーの間に、連絡の術はありません。

採取から7日で手紙をもらえたということは、
間違いなく、移植前に手紙を書かれたものと思われます。
患者さんの治療日程を考えれば、移植直後は手紙を書くどころの状況ではありませんので。

以前も書きましたが、私は心が揺れておりました
患者さんの手紙を読んでしまったら、私のこれまでの方針であった
「患者さんの情報一切を受け取らない」ことが崩れてしまうから。
でも受け取らなければ、患者さんに返送されてしまうことだけは、してはならないとも思いました。

折衷案として、妹1号がその手紙を受け取ってくれ、なおかつ返事も書いてくれるとのこと。
彼女の負担は大きくなりましたが、彼女自身も骨髄移植のドナー登録をしているので、
理解を持ってくれています。
この判断は、とてもありがたいものでありました。

手紙が届いているとの連絡のあと、私はバンクに「手紙を受け取ります」と返送しました。
そして、届いた手紙は私が開封することなく、妹1号の手元に渡りました。
妹1号はそれを読み、深く感銘を受けたようでした。
私以外の家族にも読んでもらったようです(家族の閲覧は認められています)。
そして、彼女は返事をしたため、それをバンクに送りました。
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ですので、私と患者さんとの間で、1往復の手紙のやり取りが行われたということになります。

それから数日、妹1号から連絡が届きました。
「私は兄貴が、この手紙を読むべきだと思う――」
それは、どうやら家族の総意でもあったようです。

私はこれまでの方針を転換することにしました。
手紙を読むことで、患者さんの性別や年代などの情報が入ってきます。
家族が読んだ方が良いと判断したのを、くつがえすほどの意固地さはありません。

私の手元に、その手紙が届きました。
それを読む日が、採取から26日たったこの日だったのです。
さすがに、バンクの封筒に入った、患者さんの手紙を出す時に、
息を飲んだ記憶があります。
これまで一切の情報を絶っていたのを、受け入れるのですからね。

バンクとの取り決めにより、この手紙の写真はおろか、内容に踏み込むことはできません。
SNSを含めて、公開しないことを承諾した上で、手紙を受け取ったからです。
ですので、ここでも公開できません。

手紙は2通入っていました。
1つは患者さんから、もう1つは患者さんの医療スタッフからでした。
「私に手を差し伸べてくださってありがとうございました」というような書き出しの文面には、
深く感動しました。
そうなんですよね、私のようなちっぽけな人間ですが、
患者さんからすれば、手を差し伸べた唯一の人になるのですから。
そして、ご自身も闘病で大変な状況だろうに、
ドナーである私を気遣って下さって「コロナ禍ですが、健康に留意して」うんぬんとありました。

私は涙が止まりませんでした。
生きられるかどうかの瀬戸際の中でも、私の健康をおもんぱかってくださる。
その姿勢に対して、なんて立派な方なんだろうと思ったからです。

涙を止められなかったもう一つの理由は、同封してあった医療スタッフさんからの手紙にもありました。
患者さんはとても穏やかで、ドナーさんに深く感謝していらっしゃいますとの文言です。
スタッフさんがこう思っておられる、それをわざわざ手紙にしてくださっている。
ということは、さぞかし、日ごろの患者さんの立ち居振る舞いが、優れておられるのでしょう。
自暴自棄になったり、居丈高になったりする人もいる中で、
こうしてスタッフさんにも好かれている患者さんに、私の造血細胞が入り、
新しい命を授かってくださっているのなら、私は格別の思いでありました。

おそらく、この手紙は、私が一生大事にするものの一つになりました。
逢えないけれど、私の「分身」がこの国のどこかにいる。
その唯一の「証し」が、手紙なのですから。

適当な人間である私が、移植をひょこひょこ行って、こんな駄文を書き連ねていますが、
患者さんにとっては、必死のミッションを行っておられます。
そして、私はもう終わってしまったけど、
患者さんのミッションはまだ続いています。
移植の結果がどうなっているのか、うまく行ったかそうでなかったか、
そのことは私には知ることはできません。
でも、せめて繋がった「バトンリレー」が、こうして手紙になって残っている――。
こんなステキな出来事が感じられただけでも、ドナーになった意義があったと思っています。

患者さんからの手紙は、あと1回、送れるようになっています。
現時点で、もう1通はまだ届いていません。
おそらくは、肝細胞が生着して、無事に退院できた時に届くのでしょう。
連絡がないのは、無事の知らせだとも思っています。
自分にとって、見ず知らずの「隣人」が、懸命に生きようとしているのであるなら、
自分もまた、懸命に生きたいと思うのであります。

4か月近い、骨髄移植のドナーの時系列での流れは、きょうの記事でひとまず終了です。
次回は、ドナーである私が、現在置かれているさまざまな立場について記します。
実は、それなりの制約の中で暮らしています。
なお少しだけ、おつきあいくださればと思います。





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行政から補助金を頂きました(D+23) [骨髄移植]

行政から補助金を頂きました(D+23)

今回の記事は、お金にまつわるお話。
骨髄移植は基本的にボランティアなので、こういう金銭に関する記事はどうかしらと思います。
まあ滅私奉公という考えもありますが、もらえるならね(笑)

骨髄バンクからは、謝礼と呼ばれる金銭の支払いはありません。
というものの、検査や採取で、病院などに行った場合の、
実費相当分(いわゆる交通費)は、全額がバンクから支払われます。
また、入院時に「支度金」として、5000円を頂くことができます。
例外として、インフルエンザの予防接種が採取前にあった場合は、
その半額を負担してもらえます。
――それが頂けるすべての金銭。

ですから、基本的に謝礼などはまったくないと思っていた方が良いです。

ですが、ドナーによっては、さまざまな金銭面の恩恵を授かる人もいるのも事実。
それらは大別すると、以下のようになります。

1、勤務先などからの支援制度
2、行政からの支援制度
3、任意保険からの保険金

勤務先などに、骨髄移植に関する支援の規定がある場合は、
かなり手厚い保障があると伺っています。
金銭面はもとより、特別休暇や、仕事内容のサポートなど。
企業における社会貢献活動の一環ともなりますからね。
ただし、これは大きな企業にお勤めの方限定。
学生さんや主婦、私のような自営業には縁遠いことであります。

そういう方のために、行政は、ほぼどこの市区町村でも、
最大で14万円(1日2万円×最大7日間)の支援をしてくれています。
DSC_0621.JPG
この資格は、前述の企業の支援規定の「ない」人のみ。
ですから、先ほどの「1」と「2」は両方もらえる人はおりません。
私が今回申請したのは、このパターン。

ちなみに、3の任意保険ですが、医療保険の一部については、
骨髄移植にまつわる入院や手術に関して、
病気療養と同じにみなして、保険金支払いがあるものがあります。
ざっと調べてみましたが、最近発売された保険には、その条項があるようです。
私、3つの任意医療保険に加入しておりましたが、
そのいずれも該当せず(涙)
場合によっては数十万円ももらえる可能性もあっただけに、
事前の調査が大事でしたね。

ということで、行政の補助金申請であります。

退院の日に、すでに役所におもむき、ひと通りの申請に必要なものを確認してきました。
以前も記しましたが、私の地元の役所は、同級生が以前に働いていた部署でもあり、
話は早く進みました。

前回の記事により、術後健診も終えたことから、
移植にまつわるすべての作業が終わりました。
バンクからも、私が移植のドナーとなり、末梢血幹細胞移植をしたという証明書
届きましたので、申請に行ったというわけ。

お役所に行って一番面倒なのは、持参するものが足りなくて、もう一度足を運ぶこと。
よって、事前に必要なものをすべて確認し、全部持って行ってしまうのが肝心です。
私の場合、すでに一度行っていて、必要なものを確認してあり、
あげく当日にもう一度担当者さんに電話をしてから訪問だったので、
なにも問題なし。
担当者さんに心証をよくしてもらうため、差し入れのお菓子まで持参する始末。
(同級生の職場仲間だったという関係もあるので)
「こんなものを頂いてしまっては、怒られてしまいます」と恐縮しておられましたが、
可愛らしい女子だったので、そういうケアは万全であります(バカ)

申請自体はものの10分ほどで終了。
「後日、補助金交付になったら、ご自宅にお手紙が届きます」とのことでした。

ちなみに数日後、その担当者さんから電話があり、
「式守さん、ご自身が働いておられるコンビニで、休暇制度とかはないですよね」と質問。
私たち現場の人間には、そんな手厚い保障などないのであります。
だいたい、私の仕事のヘルプを申請したって、それすら有料ですからね。
休業補償どころか、持ち出しでありますよ。

後日、役所から首長名の「交付書」が届きまして、
無事に14万円を頂きました。
世話になった家族に少しだけおすそわけをして(あっ、まだあげてないや)
あとはありがたく頂戴したというわけ。

繰り返しになりますが、移植はボランティアですから、
金銭面での恩恵が目的ではありません。
でも、こういう制度があって、多少なれどドナーの負担軽減になることは、
知識の一つとして、周知して行ければと思います。

次回は、患者さんからの手紙に関して。
当初の方針通り、妹が開封し返事を書くという算段でしたが、
どうなったのかを記します。





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術後の健診に行きました(D+18) [骨髄移植]

術後の健診に行きました(D+18)

前回は手紙が届いたお話。
手紙のことは、次々回に書きたいと思います。

採取が終わってから、遅くも1か月の間に、採取した病院で、
術後の健康診断を無料で実施してくれます。
今日はそのお話。

私の場合は、術後18日で実施しました。
たった数回しか通わなかったけど、途方もなく愛着のある、病院のある街。
この日は寒くて曇天。
それも午後の遅めの時間ということで、界隈の人通りもまばら。
外来の患者さんも少なかったですね。
そして、実は初めて、1人っきりでの病院になりました。

これまでは、コーディネーターのクレインさんが必ず一緒にいてくださったんだけど、
もう彼女は、別のドナーさんのケアをされています。
一人でさびしいなあ、うまくできますかね?と、クレインさんにメールしたら、
「ハハハ、式守さんなら大丈夫!」と一笑に付されてしまいました。

術後健診って言っても、採血して血液検査をしてから、
主治医の先生の問診を受けるのみ。
採血はものの5分程度で終わり、結果が出るまで1時間近く待ってから、問診です。
病院の中で待っててもしょうがないので、街歩きにいそしみますが、
まあ寒風吹きすさぶ中で、待ってる間に飲んじゃうわけにもいかず。
文字通り「プラプラ」してから、主治医の先生のお部屋に伺います。

「このたびはほんとうにありがとうございました」と、
深々とお辞儀をしてくださった主治医の先生。
サポート役の女性の先生とも、この1カ月で何度もお顔を合わせたから、
なんか顔なじみであります。
腰痛とかどうですか?とのご下問でしたが、なにせ退院翌日には元気になっちゃったので、
そうだ!骨の痛みがあったんだって、やっと思い出す始末。

どうやら、血液検査の結果は、至って良好のようでして、
G-CSFという薬を投薬したことによる、白血球の増加も落ち着いているし、
採取で一時的に減少した血小板も、この間で元通りになりました。
先生は決められたチェック項目をキチンと聞いてくれますが、
まあ私がなにも問題ないことばかりなので、立て板に水が流れ落ちるように、
すいすいと問診が進んでしまいます。

あげく、なんか変わったことありましたか?のご下問には、
退院の日から仕事しちゃったし、夜は飲みに行きましたよと答えると、
先生たちがエーーって言って、笑っちゃってました。
すごいドナーがいたもんだ。

骨髄移植に対して、なにかの提言はありますか?という、改まった設問もあったのですが、
私が語ったのは次の2つでした。
1つ目は、なにより、患者さんに命のリレーができたことに対する達成感と、
それに携わる医療従事者の皆さんへのお礼であります。
みんなが与えられたミッションを完遂したことで、私たちの果たすべき役割をやり遂げられた。
その思いと同時に、自分ひとりのチカラではできなかったことへの感謝でありました。

そしてもう1つは、1年後になるともう一度、移植のチャンスが巡ってきます。
(採取から1年間は、移植マッチングは保留扱いですが、その後、マッチングが可能になるため)
「ぜひ、機会があればまた移植に応じたいです――」

これは、詭弁ではなく本心からのことです。
こんなにすがすがしい気分になれて、困っておられる方の一助になるなら、
進んで応じていきたいという意思表示をしてきました。
主治医の先生も喜んでおられたようです。
やっぱり、痛みを伴い、さまざまな調整を行う過程の中で、
2度と移植はイヤだと思う人もいらっしゃるとか。
「そう言って頂けて、ありがとうございます」とおっしゃってました。

おそらく、この病院でこの主治医の先生にお会いするのは、この日が最後です。
病院自体、2度と来ないかもしれません。
「ヘンですよね、なんか名残惜しいんですよ」と先生に話したら、
マスク越しではありますが、満面の笑みでおられました。
一期一会が、ものすごく多かった、この数ヶ月でありました。

病院を出ると夕刻、すでに薄暗くなっていました。
この日は、飲み仲間と一緒に、都市対抗野球を見に行くことにしていましたので、
急いで東京ドームへ。
DSC_0593.JPG
ちなみに、観戦前に立ち飲み屋さんでアペリティフ。
観戦後に中華屋さんで本飲みを敢行してまいりました。
毎年、何度も野球を見に行っているのですが、
今年は結局、この都市対抗野球が最初で最後の観戦になってしまいました。

次回は、補助金の申請について。
こういう施策を行政はやってくれているんですよという内容です。






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患者さんから手紙が届いています(D+7) [骨髄移植]

患者さんから手紙が届いています(D+7)

2021年の最初の記事になります。
日常を取り戻す一年の幕開けですね。
関東地方は素晴らしい正月晴れでありました。
この空を見て、きっと今年は昨年とは違う一年になると確信しました。

弊ブログはもう少しだけ、骨髄移植の後日談の記事をお送りします。

採取から1週間、すでに日常の日々を過ごしていたある日、
不意に骨髄バンクから手紙が届きました。
001.jpg
コーディネーターのクレインさんは、退院の日をもって関係は薄れます。
コーディネーターの仕事は、移植を円滑に実施させることですから。

何だろうと思って、その手紙を開封したら、これまた難題が発生したのであります。
「患者さんからお手紙が届いています」という内容でした。

少しだけ、説明が必要ですね。
ドナーと患者さんは、お互いの個人情報を知ることはありません
だから、未来永劫、お互いが会ったりしゃべったりすることもありません。
希望があれば相手の「地域、性別、年代」を知ることができますが、
私はその一切の情報開示を求めませんでした。
その理由は、以前にも書きましたが、
知ってしまうことでこちらの精神の動揺が起きないとは言い切れないから。
患者さんの境遇によって、移植をしたことを喜んだり悲しんだりしたくなかったからです。

ただし、採取から1年の間に、それぞれ2回の手紙を書くことが許されています。
その内容には、個人情報や体調の経過を書くことはできませんが、
自分の思いを、相手に届けることができます。
必要以外のことが書かれていないか、バンクが検閲したのち、希望すれば送ってもらえます。
ただし、その内容一切を、対外的に明らかにしない旨の「承諾書」を提出する必要があります。

今回、バンクから届いた手紙には、患者さんから手紙が事務局あてに届いているので、
受け取りを希望するなら、同封の承諾書に署名捺印をして、送ってほしいとのことでした。
そして、もし希望しないなら、1か月後に患者さんに、その手紙を返送するというものです。

――いやあ、困ったなあというのが正直な感想。
そりゃ、患者さんの手紙を読みたくないというドナーはいないでしょう。
どういうお気持ちの方なのかなという興味は、必ずやありますから。
ただ、困惑しているのは、私は患者さんの情報一切を拒んでいる身。
受け取れば、性別や境遇の多少はわかってしまいます。

もし受け取らなければ、患者さんに送り返されてしまうということも、困惑の一因です。
心を込めて手紙にしたためた、それも病魔と闘っている中で、
思いのたけが詰まった手紙を、無残にも返送してしまうのは、あまりに忍びない。
そんな愚行ができるのであれば、ドナーになんかならない方がいいですよね。

本当に悩ましい問題に直面し、家族、
それも私のドナーの後押しをしてくれた妹1号に相談しました。
すると妹は、こんな提案をしてくれました。

「返送するなんて、絶対にダメだよ。
だから、手紙を受け取って、私が読んで返事を書く――」
つまり、私は手紙の内容を読まず、返事まで書いてくれて、
なおかつ、その内容を私には教えないという案でした。

これなら、相手には失礼にあたらないし、逆により病気と闘う力になってくれ、
私も当初の意思であった「患者さんのことを知らない」のが守られます。
ただ、妹の負担は大きいと思われましたが、あっけらかんとして妹はそれを受け入れてくれました。

――ただし・・、妹の話には続きがあります。
「手紙を読んで、兄貴にどうしても読ませたいと、私を含めた家族が思うなら、
そのときは読んでほしい」という条件でした。
悩ましいけど、私もそこまで意固地になる必要がないと思いましたので、
それを受け入れました。

バンクからの手紙を受け取ってから、数日後、
私は患者さんからの手紙を受け取る決心を固め、公開しないという承諾書を返送しました。

さあ、どんな手紙だったのでしょうか。
もちろん、写真を含めて一切アップしないことをご容赦ください。
でも、妹が適切な対応をしてくれたことを、後日記します。

次回は、術後健診の模様です。
終わってから、野球を見に行きました(笑)





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積極的に発言してきました(D+2~4) [骨髄移植]

積極的に発言してきました(D+2~4)

きょうは世間では大晦日です。
疫病の禍に振り回された2020年も今日で終わり。
収束どころか、なお猛威を振るっている状況であります。
さまざまなニューノーマルに慣れない中、
私は例年通り、年末年始も仕事続行中です。
弊ブログは特別な運用もせず、移植後の日常を記してまいります。
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採取の翌日から、私は完全に日常に戻りました。
いつものように、日々、店での仕事を行います。
退院後は静養したらという意見もあるにはあったのですが、
それを許すような仕事環境ではありません。
むしろ、勤務調整をして休ませてあげないといけない人もいますし、
幸いにして、私の体調もすこぶる良好でありますし。

骨の痛みは、日を追うごとに治りますと言われた通り、
退院の翌日には、腰痛もかなり収まってきました。
翌々日には、痛みはほぼなくなったと言っても良いくらい。
ただし、立ち仕事は少しだけ、いつもよりも疲れましたね。

仕事場の従業員からは、かなりねぎらわれました。
元々、健康そのものの私ゆえ、5日間ですが入院することは初めてのケース。
合わせて、骨髄移植のドナーになるという、世間的にレアなので、
従業員たちからも、質問をたくさんもらいました。

私は、これらにキチンと答えることこそ、骨髄バンクの啓蒙に役に立つと思い、
できるだけ丁寧に答えました。
まずは知ってもらうこと、そして近しいところに体験者がいることこそが、
なによりの周知活動になると思ったからです。
みんな一様に「痛かったですか?」と聞かれました。
ただ私は、これまで書いた通り、直接の採取にて痛みは感じなく、
骨痛という、経験のしたことのない「スピンオフの痛み」だったので、
ここはなかなか理解しづらかったようです。
私も経験するまで、骨が痛くなるって 全然想像できませんでしたもの。

夜になると、3週間のアルコール抜き生活を挽回するべく、
通っている飲食店まわりに精を出しました。
単にアルコールを欲していたということもありますが(苦笑)、
快気報告も兼ねてという意味合いもありました。
見知ったお客さんも一様に私が移植したことを知っていて、
その方からも質問を多く頂くことしばし。
金銭面の補助とか、病院の過ごし方など、突っ込んだ話も多かったのですが、
これも、まずは知ってもらうという啓蒙だよなって思い、これもキチンと答えました。

私が参画しているフェイスブックにもこの頃、移植に行ってきたという記事を掲載しました。
すでに、入院はしているという情報を流していたのですが、
骨髄移植であったというのは、この時点ではじめて公開にしました。
ここでも知り合いからリアクションをもらい、
興味を持ってもらったのは良かったのだなと思ったりしました。
中には、友人が急性白血病で近く移植を受けるとか、
自分もドナー登録していたが、年齢超過で移植に至らなかったという声もありました。

おそらくですが、自分の近しい人に、ドナーになった人がいないから、よくわからないのでしょう。
テレビ番組などではときどき取り上げられているものの、
身近にいないから、どうしてもそこまでの興味に繋がらない。
だから、どんどん語っていくことこそが、私に課せられた使命だと思っています。

そして、その考えは今も同じですし、来年になっても再来年になっても、
そういう機会があればどんどん発言していきたいと思っています。
弊ブログも、そういう観点から、公開していきます。

次回は、おそらく2021年最初の記事になりますが、
良い年の暮をお過ごしくださいますよう。
ちなみに次回、かなり悩ましい問題がぼっ発します。






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退院した日にどうしてここまで予定を詰め込むのでしょう(D+1) [骨髄移植]

退院した日にどうしてここまで予定を詰め込むのでしょう(D+1)

採取の翌日、無事に退院をしまして、クレインさんと食事をしてお別れをしました。
世間的に、まだ平日の午前中でありまして、このあとの予定を目一杯入れてみました。

まずはとりあえず帰宅、電車で1時間ほど揺られて実家に帰宅すると、
たまたま妹1号が在宅。
とりあえず退院の報告と、簡単な採取の経過を説明しました。
彼女は、家族代表になって遠路はるばる署名捺印をしに来てくれた人であります。

そのあと、この日からはじまった、飲み仲間さんが参画しているグループ展を観覧。
FB_IMG_1609073363935.jpg
飲み仲間は在廊していませんでしたが、さまざまな作品を見て、
やっと日常に戻ってきたんだなって感じました。

そして、地元の市役所へ。
実は、ほぼどちらの居住市区町村でも、骨髄バンクで移植した人には、
行政が補助金を用意してくれています。
もっとも、民間企業などにおつとめで、独自の支援策がある人は除外。
私のような自営業者にはありがたい施策ですよね。
移植のために拘束された日(術前健診などを含める)1日あたり2万円。
最大7日分で14万円が支給されます。
その申請に必要な書類を頂きに、市役所へ行ったというわけ。

担当部署には、同級生が昨年までいまして、
いまは栄転してもっとエラくなってしまいましたが、その当時の同僚さんたちがいらして、
そこで懇切丁寧な説明を受けてきました。
申請自体は、別日に行きましたので、またそのときの記事で記します。

そして、自分のお店に戻りまして、仕事場にいる妹2号や母親に、退院報告。
この間の5日間、起きた出来事を聞きまして、
残されたみんなはやっぱり大変だったんだなって思いました。
かなりイレギュラーも発生したみたいだけど、店は通常通り営業できていたので、良かった。
この日までヘルプの人をお願いしていたので、挨拶だけして、
2時間ほど、仕事をしちゃう。
なにも退院直後に仕事しなくてもと思いますが、
その方がのちのちラクになるし、なにより気が落ち着くというものであります。
仕事人間というわけではないけど、これは性格だからしょうがない。

店に併設の仮眠所(通称別宅)で、荷物の開梱。
洗濯できるものは洗濯機に入れ、しまうものはしまう。
これは、どこか出かけても、帰宅したらすぐに行う儀式。
荷物を出しっぱにせず、跡形もなかったかのようにしたいのです。

前日、シャワーしか浴びられなかったので、ここで入浴
やっぱり自宅の風呂が落ち着きますね。
そして、すぐに自分の布団に入り、1時間ほど仮眠
これも、自分の枕がなんとも気持ちよいのであります。

目覚めてから、ここ数年よく通っている居酒屋さんに向かいます。
こちらの大将には、移植することを話してあり、興味を持ってくれていたので、
真っ先に報告と思って訪店。
「お疲れさまでした、病院食って美味しくなかったでしょ」と大将。
いやいや、そうでもなかったですよ。
そして、3週間ぶりのアルコール(昼間はさすがに2人で中瓶一本だから、飲んだうちにならない)。
いやあ、なにより気分がよく、やっぱり酔いも早く回りました。
祝杯ってやつですかね。

おそらくは、患者さんはほぼ同時刻、私から採取された末梢血幹細胞が、
体内に取り込まれ、新しい息吹が芽生えている頃でしょう。
もちろん、そのことを考えればなお厳粛にならざるを得ないのですが、
私は与えられたミッションを完遂した、そこに対して純粋に嬉しかったのであります。

長い1日でありましたが、いい心もちになって、帰宅の途についたのであります。

次回は、この日から数日のあいだに、私の店の従業員や、
飲み仲間のいる飲食店などへの報告の記事。
みんな興味津々だったようで、よく聞いてくれました。
その模様を記します。





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